公開日: 2020年4月30日 - 最終更新日: 2020年4月30日

伝来、発展、再び世界へ<2/2>

JAPAN BONSAI 編集部
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お寺という昔ながらの常識を変えるべく、動き出した青蔭氏。さらに盆栽と出会ったことで、それを取り巻く環境すらも変えてしまった。

後編:生きるということ

危機感

常泉寺の住職、また一般社団法人日本盆栽協会の理事長としての顔も持つ青蔭文雄氏。仏の道だけではなく、盆栽家としてもかなりのキャリアを積んでいそうだが、実は盆栽を本格的に初めて、まだ20年ぐらいだという。

父が盆栽を嗜んでいましたが、その鉢は手放してしまいまして…。私は蘭をやったりしていたのですが、花のお寺としての完成形が見えてくると、次へと進みたくなるじゃないですか。その頃、秦野の宝樹園さんと出会い、盆栽の道に入りました。そこで国風盆栽展を知り、「ダメで元々、出してみましょう」と言われ出品したら入選しましてね。その後、たしか10回連続で入選したかな。その間に椿「常泉の舞」で国風賞をいただきました。椿の盆栽を青蔭が変えたとも言われたんですよ(笑)。

そのうち、協会の理事を…というお話をいただきまして、皆さんにも推していただきましたので、とにかく1期やってみよう…と。そして2年前から理事長に。

私は盆栽協会、ひいては盆栽界に危機感を抱いています。なんと言っても新しい方が入ってこない。会員数が激減していますから、これをどうにかしなきゃならない。そのためには、ホームページのリニューアルが必須でしょうね。

改革を推進中ですが、大鉈を振るわず、足元から変えていきたい。坊さんが理事長になったのですから、仲良く進めたいですね。今年の国風盆栽展、随分と変わったと思いませんか? あぐらをかかず、おもてなしの精神が根付いてきたと自負しております。一般の方が応募しなければ、国風盆栽展は成り立ちませんからね。

共通項

さて、「盆栽と禅」である。曹洞宗の住職として約45年、また盆栽家としての道も極めている青蔭氏に、両者の共通項を聞いた。

まず仏教は、簡単に言うと、悪いことをしてはいけない。良いことをしましょう。一日一日を一所懸命、生きて、成果として何かが生まれなくても、平凡のなかに非凡を見いだす。そういうことです。

坐禅は組んだからエライとかではなく、生活の一部になってこそ、生まれてくる物があります。

盆栽は毎日の水やり、葉刈り、肥料、消毒など、そういうたゆまない努力によって実を結びます。

私はね、人生は自立してから始まると思っています。大学を出たら、定年まで40年くらいでしょうか。樹は種が落ちて、発芽して、主を転々として、樹を整えて…、ゆうに百年とかの時間を要して、盆栽になります。その間に樹は熟成していますから、そこから教わることは多いですね。相手は人間よりも大先輩ですから。

盆栽は無駄な枝を落としていって、生きるのに必要不可欠な枝だけを残す。禅も同じです。禅は厳しい反面、人を育てる。両者とも無駄を省く美学ですよね。茶室も、日本庭園も、いかに大自然をコンパクトにするか。コンパクトだけども、いかに大きく感じさせるか。置いていなくても、あるように感じさせるか。そこが盆栽と同じように、日本の良さだと思います。

私は下り坂になったとき、はじめて人生を知るような気がします。老いてなお、輝きを増す。盆栽のように無駄を省いた人間になりたいと思います。若い頃は「住職らしくない」とよく言われました。若気の至りですね(笑)。55、56くらいから、必要以上に大きく見せないよう心がけています。若いときは国風賞を取るような盆栽が好きでしたが、いまは威張っている樹よりも、ギリギリで生きている樹が好きですね。

Profile
青蔭 文雄
神奈川県大和市、常泉寺住職。大和市の教育委員、委員長、社会教育委員、人権員などを歴任。大和警察署協議会会長も務めた。約20年前より盆栽をはじめ、一般社団法人日本盆栽協会の理事長も務めている。

花のお寺 常泉寺

神奈川県大和市福田2176
http://www.jousenji.com/
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